第143回:ハネウェルとミノルタの天下の特許訴訟とは?

こんにちは~、ネオフライトの宮川壮輔 です。

さて、今回は、ピントを合わせるお話し。 ボケた頭ではなく、カメラのピント合わせです。

カメラって、ピント合わせは自動なのが 当たり前ですよね(@_@)

でも、昔は違かった。 手動でやってたわけです。

それが今では、誰でも簡単に撮れる自動焦点、 つまり、オートフォーカスになりました。

オートフォーカスといえば、知財界には超有名な 事件があります。

その名も、

「ハネウェルvsミノルタ事件」

そのままですな(^_^;)

米国ハネウェルと日本ミノルタの戦いです。 この事件を契機に、カメラ業界の勢力地図は 大きく塗り替えられることになるんです(゜_゜;)

お~っと、慌てない、慌てない。 ゆっくりと見ていきましょう、 その「ハネウェルvsミノルタ事件」の ことの顛末ってやつを。

さて、ときは、1970年代にさかのぼります。 1977年、コニカが世界初のオートフォーカスカメラ、 その名も「ジャスピンコニカ」を販売します。

このカメラが大受けし、市場を席巻するんですな。 1977年といったら、わたしが8才くらいだから、 ドリフが流行ってた頃かな(o^^o)

まさに、高度経済成長のイケイケジャポンから 安定成長期に入ってたあたり。

「ジャスピンコニカ」がヒットしてから、 各メーカーが、次々とオートフォーカスカメラを 市場に投入していきました。

今回のW主役の一方、ミノルタもその一人です。 ちなみに、宮崎美子さんのCMで、ミノルタの X-7が大ヒットしたのが1980年ですから、 まあ、この辺の時代。

じつは、1970年代後半のオートフォーカスカメラには、 ほとんどハネウェル社のオートフォーカスチップが 使われていたんですな(^_^)b

つまり、この頃は、ハネウェル社の オートフォーカス技術が先行していた訳です。

もちろん、日本の各社は、ハネウェル社に 技術使用料を払ってました。

しか~しである。 そこに現れし光の賢者によって、 様相が一変するのだ。

その光の賢者とは、、、

はい、キヤノンです。 キヤノンは、赤外線を使ったまったく新たな オートフォーカス機能を実現させました。

ハネウェル社のオートフォーカスチップの 欠点をうま~く解消したものだったんですね(・∀・)

そこで何が起きたかというと、 雪崩れ現象だ。

各メーカーが、オートフォーカスチップの 購入先を、米国ハネウェル社からキヤノンに 雪崩れのごとく切り替えていったんです。

びっくらこいたのはハネウェル社。 しかし、気付いたときには、時すでに遅し。

このとき、ハネウェル社は、 バスコンッと机を叩いて、

「こ、この恨み はらさでおくべきか!」

と叫んだかも、、、しれない。

おそらく、これは、当時のアメリカ企業と 日本企業の企業競争の縮図だったのではないだろうか。

つまり、日本というのは、最初はお金を払って 革新技術をあさっていくが、数年後には、 欠点を解消した改良技術をさらっと産み出して しまうのだ。

アメリカってビッグカンパニーが、 敗戦からGNP第2位まで跳躍した ミラクルジャポンに対して 警戒の目を光らせた瞬間だった(`へ´)フン

ハネウェル社の叫びは アメリカの悲痛な叫びとなっていく。

なんか、長くなってしまいましたね~。 今回は、ここまでとしておきま~す。

それでは、また次回。

ネオフライト国際商標特許事務所
弁理士 宮川壮輔

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